随分前に「吉田茂人間秘話」(文化創作出版)という本を出版しました。講和条約、戦後賠償、飢えによる国民の命と生活の立て直しに至るまで八面六臂の存在感を示した不世出の総理大臣でした。この本の著者は、細川隆一郎先生(毎日新聞出身の政治評論家で、文化創作出版の顧問としてお世話になりました)と吉田茂の最後の秘書であった依岡顕知先生との共著です。さて、第二次世界対戦という世界の列強との戦いに無謀にも挑んで1945年に敗戦国となった日本という国。この徹底的ダメージを受けた国が戦後、世界中を驚かせる復興を遂げ、20年後(1964)には東京オリンピックを開催することになるのです。この戦後日本の復興と繁栄の礎を築いたのが吉田茂という希有の総理大臣でした。。講和条約、戦後賠償、飢えによる国民の命と生活の立て直しに至るまで八面六臂の存在感を示した不世出の総理大臣でした。
この人は、当時のイギリスの首相のチャーチルと並び称されるウイットとユーモアに富んでいて、逸話が数多く残っています。
戦後賠償で金よこせ、とやって来たフィリピンの大統領を前にして「今、ちょっと財務の担当者が計算に手間取っている」というのです。「何に手間取っているのか!」と大統領。「いや、毎年お宅で発生する台風で日本は多大の損害を被っている。それを計算中だ」と言ったとか言わないとか。
またこの人は、地元(高知)に一度も選挙でも帰ったことがなく地元の秘書に任せっきりで連続当選して来た。最後の選挙で「先生帰らないと今度は落選します」と言われて重い腰をあげました。寒い時の解散総選挙だったので、オーバーコートを着て演説を始めるとヤジが飛びます。「オーバーを羽織ったまま演説とは失礼じゃないか」すかさず吉田さん「何を言うか、これが本当の街頭演説だ!」「あんたは東京に三人も妾を持って不届き者!」これにも「バカヤロー(と言ったかどうか)三人じゃない五人だ 」と返した。
こうしたエピソードに事欠かない人だったようで、丘の上でパイプを燻らせている時、下からムシロバタを掲げたデモ隊が「米寄越せ、飢え死にさせる気か」と上がって来た。吉田さんは悠然として「飢え死にするどころかムシロバタを掲げて元気じゃないか」とこんな具合だったのです。