この度登場するのは鶴田光敏先生です。この方とはほぼ毎月末水曜日の名古屋官足法セミナー後にお目にかかって30年近くになります。私(文化創作出版)のところから何冊も出版されています。お付き合いも長いのでその間の特筆すべきエピソードも多くありますのでおいおいにお話します。
さて、その第1彈は司馬遼太郎さんです。
「龍馬がいく」「坂ノ上の雲」「梟の城」等々数多くの歴史小説の名作や 紀行文の傑作「街道をゆく」等々説明の要らない戦後を代表する大作家です。1996年2月に大動脈瘤破裂で亡くなりました。その時輸血のため大阪の病院まで駆けつけたのが鶴田光敏先生です。司馬遼太郎さんが最後まで主治医として信頼してお付き合いをされた鶴田先生は、大の文学好きの、人付き合いの達人ともいえる人で、作家のみならず多くの著名人と親しくお付き合いされてきました。
この司馬遼太郎さんとも新潮社の編集長に紹介されて お目にかかることになります。
医者嫌い、病院嫌いの司馬さんは鶴田先生にに開口一番こう聞きました「先生、あなたの病院ははやっていますか?」「ええ、お陰さまで。私は治すのが下手なもんで患者さんがいつまでも来られるし、その上に新しい患者さんが見えるもんで何時も繁盛です」と答えて、とても気に入られ、それ以来親しいお付き合いが始まるのです。絶筆となった「街道をゆく」第43巻(朝日新聞出版)に鶴田先生が出てきます。その抜粋を以下に紹介させていただきます。
『桶狭間までの行路は、マイクロバスをつかった。すでにこの上ない案内人を得ている。
鶴田光敏氏である。この人は一九五四年十二月十七日うまれで、すでに四十一ながら、色白で少年のように若々しい。私はこの人の人柄については、熟知しているつもりでいる。慈悲ぶかいという高度のことばをつかっていいほどに心優しくそれに親切がいつも行動になっている。さらには物事への理解力が的確なのである。』
最後まで無駄のない言葉使いで読む者を文章の虜にしてしまう司馬文学。私も大好きでした。亡くなったのは鶴田先生に合わせていただく約束の日の一週間前でした。