朝日新聞に毎月第2木曜日連載の瀬戸内寂聴先生の「残された日々」の今月は、亡くなった芥川賞作家の高橋三千綱さんについての思い出を書いておられました。実は私も高橋三千綱さんとは浅からぬご縁で「九月の空」で芥川賞を受賞された直後にお目にかかっているのです。それは彼のお父上である、やはり作家の高野三郎先生と私が知り合いだったことで「僕の息子が芥川賞をとったので本を出してやって欲しい」と言われたのです。 作家として超売れっ子となった高橋さんは「俺は作家だよ。エッセイなんか書く積もりはないよ 」と、にべもありません。しかし私は怯みません。東京八幡山駅の近くにあった大宅文庫(大宅壮一さんが遺されたあらゆる雑誌、週刊誌、新聞などが置いてあって編集者の聖地とも言える場所)へ通い詰めて三千綱さんの記事という記事を女性週刊誌から一般の雑誌、新聞に至るまで集めに集めて、おおざっぱなコンテンツとプロットを持って新宿にあった仕事場に行きました。「こんなんで本になるの?」「大丈夫です。面白いですよ」などという会話の後、私は内心10年に一度のタイトルと自負していた「こんな女と暮らしてみたい」を他のいくつかのタイトル候補とともに見せると、無関心を装ったいつものぶっきらぼうな物言いで「こんなタイトルで売れるの?」「それにしても、世の中ブスばっかりだよね」などと照れ隠しでおっしゃる。寂聴先生も冒頭のエッセイで「当時人気絶頂の石原慎太郎さんのタレント性を具えていて、甘い美貌は慎太郎さん以上にチャーミングだと、若い女性の読者がついていた。」と述べておられます。私も本当にそう思って女性は必ずこのタイトルに惹かれて買うに違いないと確信に近いものを持っていたのでそのまま押しきって出版にこぎつけました。案の定この本はたちまちベストセラー入りし、50万部ほども売れていったのです。本にとってのタイトルは最重要のアイテムだと思い知らされたのです。後にこのタイトルを使って天下の角川書店が「続-こんな女と暮らしてみたい」という続編ま出したのですから。さて、高橋さんはなぜかブルドッグが好きで( 私は嫌いだった)、そのブルが私が行く度に股間に上を向いた鼻を擦り付けて退こうとしません。蹴飛ばすわけにもいかず困っていても彼はニヤニヤしているだけだったのです。それはさておき、終生酒を愛し、ゴルフを愛し、最後の無頼派作家(野武士のようだった)と言えるのではないか、と冥福を祈りながら考えています。