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  この方は東映のニューフェイスを経て、銀座の「姫」という名のクラブを開いて大繁盛し銀座で1,2を争う有名店に育てた方です。それだけなら誰も知らないままだったのでしようが、プロ野球を始めとする多くの有名スポーツ選手、作家、芸能人、政財界人などが連日通う一大社交場となり、「座っただけで10万」などと言われる大繁盛店になったのです。そうして後に五木ひろしが歌った「よこはま,・たそがれ」や中条きよしの「うそ」、石原裕次郎の「北の旅人」など多くの作品で作詞家として超売れっ子となり、その傍ら「演歌の虫」「老梅」という小説が直木賞を受賞して押しも押されもせぬ大作家となられたのです。山口先生の書かれる作品はそのどれもがご自身の豊かな体験に裏打ちされた、誰しもが経験することのできない男女の愛憎の機微に触れていて、歌でも作品でも深く強く心を打たれるのです。
我が文化創作出版でも「悪い男に愛されたい」「この人と暮らせたら」「生きていてよかった」というエッセイを出版させていただきました。このように誠に華やかできらびやかな人生がそのまま穏やかに過ぎていくのかと思えばそうは行かないのが人生なのでしょう。ある時病院で検査をしたら「癌とエイズ以外の現代病を全部一度にやっています」と言われ、挙げ句担当医に「あなたは粗大ゴミ、再起不能」とまで言われるほどの病を得るという本物の修羅場がやって来るのです。その後も散々あちこちの病院や治療院を渡り歩いても良くならず、重症の鬱病も併発して房総にある大きな病院で療養しておられる時、秘書のSさんから、「一度官先生(官足法)に見て頂けないか」という話になって私と官先生が千葉の病院まで出かけて行ったのです。官先生は「こんなところに居ても良くならない、すぐ東京に帰りましょう」「先生、私には身寄りがないので、官先生のことを父親と思いますから、私のことを本当の娘と思ってどうかよろしくお願いします」こんな会話をして、山口先生は直ぐに病院を引き上げて駒沢にあった自宅に引き上げで来ます。そうして官先生との足揉みでのお付き合いが始まります。その後は私が関わっていないのでその詳細については定かではないのですが、腸が悪いと見た官先生が、下剤を使ったところ間に合わなくて、リビングの超高級品の絨毯をダメにしたとか、なかなか長患いの先生は快方に向わなかったようです。その後何年か経って山口先生は誤嚥性肺炎に罹って軽井沢で車椅子生活を続けることになり、2014年にその波乱万丈の人生が尽きたのです。